アフリカとの出会い43

 「恐怖のKiboko(キボコ)/鞭」
   

  アフリカンコネクション 竹田悦子
 
 住み込んで働いていた孤児院内に保育園があり、ある日その保育園へ初めて行くと保育園の先生から「はい」と渡されたのは50センチくらいの丸い木の棒だった。「子供が悪いことをしたら、これで叩いてね」と笑顔で言う。

 保育園には、2歳くらいの子供から6、7歳の子供まで、異年齢児がトタンいた1枚で覆われた屋根の下、15名~20名くらいが毎日午前中だけ通ってきていた。日本ではいろんな年齢の子供達が一緒に保育を受ける「異年齢児クラスあり」がその保育園の売り文句として特徴づけられたりするが、ここでは、地域の「普通の月謝が払えない子供」の保育園であるため、貧困家庭からいろいろな年齢の子供が集まっているに過ぎない。日本円で400円ほどの月謝で入学できる。普通の保育園は少なくとも、2000円以上はするので相場から比べるとはるかに安い。NGOが主催している保育園だからだ。

 クラスには小学校へ行っていてもおかしくない年齢の子供が結構いる。子どもたちの受け答えも、先生とのやりとりも保育園児のそれではない。普通ケニアの子供達は、家庭ではそれぞれの部族語を話し、保育園のようなところに来て初めて、ケニアの国語であるスワヒリ語で他民族の友達と話すようになり、保育園では授業は英語を使用し、先生とも英語で話す。2歳から通い始めた子供も、2,3ヶ月もすれば、スワヒリ語と英語を使って生活できるようになる。そこへ、英語もスワヒリ語も中途半端な私がアルファベットや数字を教えることになっていた。逆に私が子供に教わらないといけないような状況だった。

 「muwarimu(先生)、sema pole pole, tafhadari(ゆっくり話してください)」とまっすぐに手を伸ばして手を挙げ、先生に指名されると立って発言する。先生に自分の書いたノートを添削してもらうときも、きれいに並んで私語はしない。離れたところにあるトイレに行くときは駆け足で行って帰ってくる。

 初日からそのしつけの行き届きぶりに私は驚いた。先生の号令に従って、きびきび動く、下は2歳から上は7歳くらいの子供達、小さい子がもたもたしていると、それを手伝ってあげない大きい子が代わりに怒られる。教室には、先生の「haraka, haraka(急いで、急いで)」が常に響き渡る。初日から「polepole(ゆっくりゆっくり)」な生活をイメージしていた私は、その目まぐるしい展開に驚いた。

 そんなしつけをする保育士の先生は、30代の、自身も2歳の子供がいる若い先生。1人で、そんな大人数のしかも年齢の違う子供達を一手に面倒見ている。そして外国から来た私にも保育のいろはを日々教えてくれた。それはもう「厳しい」の一言に尽きるといえる。笑顔はほとんどない。教えるとき以外は、指示するか、怒るか、叩くかのどれかだ。

 そして大活躍の木の棒。子供が何かすると、手の甲やおしりを思いっきりバシッと叩く。この木の棒は、振り上げるときにしなるので、バシッと叩かれた後は腫れる。涙がす~と自然に流れてくるほど痛い。悪いことをするたび一日に何度もそうやって叩かれるし、友達が叩かれるのを見ていると、子供達はどんどん恐怖感を募らせて、否応なしにしつけられていく。

 ケニアでは「体罰」は法律上禁止されていない。教育の一環として教師に与えられている。先生は子供をしつける義務と責任があり、そのために体罰を与えるのである。しかし、日本から来た私は、子供をしつけのために常に叩くということにとても抵抗があった。しかも右手に常に棒を持ちながら、すぐ叩く先生を見習うのはとても抵抗を感じていた。

 忘れ物をしては叩かれ、遅いといっては叩かれ、友達と喧嘩して叩かれ、子供は1日に本当に何度も叩かれていた。そうして先生は恐れられ、子供は大人の前では別人のように静かに振舞うようになっていく。

 しかし、なかなか叩けなかった日本から来た私。すぐに叩かない人イコール先生ではない、大人ではないと認識されて、私を遊び相手と考えるようになった。立っていると、手を繋いでくるし、休み時間は「遊ぼう」と誘ってくるようになった。そうこうしていると、保育園の先生に言われた。

 「先生になりなさい。叱りなさい。叩きなさい。むやみに笑顔を子供に見せない。出来る?」その日から先生は、私を先生にするべくいろいろなアドバイスをした。友達から先生に急に方向転換した私を子供達はあっさり「先生」として受け入れてくれたかどうかは分からない。

 忘れ物をした子供の手のひらを棒で叩いたのを皮切りに、一日中怒り、叩きの繰り返し。ケニアで先生になるって大変だ。今でも棒切れを見ると、思い出してしまう。叩いた子供達の手のひら、おしり。思わず流れ出る涙。「ごめんなさい」という声。私はそれぞれの子供達の置かれている環境を思うとき、叩くことがその子の為になるのかと考えて込んでしまっていた。

 朝食も食べず、何キロもの道を1人で歩いて来る子、母子家庭で、その上お母さんがアルコール中毒、弟妹が5人いる長女の子、学費が続かず、月によって保育園に通えたり通えなかったりする子、かばんがなくて、いつもスーパーの袋に勉強道具を入れてくる子、穴のあいたセーターと途中で引きちぎられたようなズボンをいつもはいている子、栄養が明らかに足りていなくて年よりもずっと小柄な子。

その教育環境も決して恵まれているとはいえない。大きなノートを複数に切って、数人で使う。鉛筆や消しゴムは大きな箱に入れて共用で使う。長机に沢山の子供が座る。暗記するときは、校庭に出て土の上に何度も書く。

 それでも子供達は、登園するのを心待ちにし、自分の食事は抜いてきてでも、園で飼っているウサギに野菜を持ってきたりする。外国人の私に素敵な笑顔を見せてくれたりする。大きな子供は小さな子供の面倒を本当によく見る。小さな親のように指導し、見守り、助ける。

 こんな環境の保育園でも、親たちは保育園の卒業証書の為に学費を用意する。小学校へ行くには、保育園の卒業証書が必要なのだ。新政権になって小学校は無料になったけれど、入学する為には保育園や幼稚園に行かなくてはならない。先生や大人たちの誰もが社会で生きていく厳しさを知っている。だからこそ、厳しくいつも子供達をしつける。甘えていては誰も配慮してはくれない社会が待っているのだから。



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